ジョージ・ジェンセンを支えた人々
- ゲオルグ・イェンセンGeorg Jensen(1866-1935)
- ジョージ・ジェンセンの創設者。14歳のときに銀細工を学び始め、18歳のときにアンデルセン金細工ギルドの見習いを終え、自らの芸術的な表現を追求しはじめた。デンマーク王立芸術アカデミーで小さい頃からの夢であった彫刻を学んだ。
1892年に卒業したが芸術家として身を立ててゆく厳しさを感じたため工芸という応用芸術への転身を決断した。
en:Bing & Grondahlという陶器制作所でモデラとして働き始め、1898年には自らの小さな瀬戸物屋を開く。
評価はまたしても上々ではあったものの、このときには妻と死別しており、小さな息子二人を支える生計には不十分であった。
1901年に陶器制作を放棄し銀細工師兼デザイナーとして働き始める。1904年に私財を投げ打って自らの名前を冠するブランドを立ち上げる。
銀細工と彫刻というややかけ離れた分野を背景に持つ彼はそれらをかけあわせ、当時大流行していたアール・ヌーヴォー風の作品群は人気を得て、コペンハーゲン本店は拡張し、1920年代終わり頃にはパリ、ロンドン、ベルリン、ニューヨークに支店を構えるほどに成長した。やがてデンマーク王室とスウェーデン王室御用達として採用された。
シルバージュエリーでは珍しく、過去に販売していた商品にプレミアがついて通常価格より高めに取引されている。
- ヨハン ロードJohan Rohde(1856-1935)
- ロードが自らデザインしたコーヒーセットの制作を、ジョージ ジェンセンに依頼したことがきっかけで、コラボレーションが始まります。
代表作のACORN(エコーン)はジョージジャンセンの中でも定番中の定番といわれ、デンマークとスウェーデン両国の王室御用達となりました。現在でも80種類ほどのアイテムが製造されています。
- ハラルド ニールセンHARALD NIELSEN(1892-1977)
- 1909年にジョージ ジェンセン工房に見習として加わり、ジェンセンが最も信頼するスタッフとなりました。
1935年のジョージ ジェンセンの死後、 ニールセンは、傑作を創出し続け、半世紀以上もジョージ ジェンセンで時を過ごしました。
デザインしたカトラリーはとても有名で、第二次世界大戦中の占領下のデンマーク時代への反発と言われている"オールドデニッシュ"シリーズは現在もジョージジャンセンで作られ続けています。
- アーノ マリノウスキーArno Malinowski(1899-1976)
- デザイナーとしてだけではなく、建築家、陶芸家、彫刻家としても成功を収めました。
自然の幾何学を利用するなど、アールデコの要素も取り入れました。
1925年 パリ万博博覧会で銀賞、1933年 エッケルスベルク メダル、1936年カールソン賞など、多くの博覧会に参加し、数々の有名な賞を受賞しました。
- アルネヤコブセンArne Jacobsen(1902-1971)
- 20世紀を代表するスカンジナビアの建築家であり工業デザイナーです。時計や椅子など有名な作品を数多く残しました。
映画「2001年宇宙の旅」で使用されたことでも有名なカトラリーは、スカンジナビアデザインの代表的作品です。
- シグヴァルド・ベルナドッテSigvaard Bernadotte(1907-2002)
- スウェーデンのインダストリアルデザイナー。作品はコーヒーケトル、ファブリック、ポスター、家具など多岐にわたる。
スウェーデン国王のグスタフ6世を父に持ち、本名はシグヴァルド・オスカー・フレデリク・ベルナドッテ、ヴィスボリ伯爵、ジョージ ジェンセンとの長きにわたる充実したコラボレーションの中でカトラリーやマネークリップは特に有名です。
- ヘニング コッペルHENNING KOPPEL(1918-1981)
- 北欧のモダニズムを代表するデザイナーの一人です。その仕事はジュエリーだけでなく、時計や食器、傘やファブリックの柄まで多岐にわたり活躍しました。
1918年に裕福なユダヤ系の家庭に生まれ、幼少より美術においてその才能を発揮し、描画や水彩画を学びました。その後、国立デンマーク・アカデミーで、後にパリで彫刻を学びます。
第二次世界大戦が終わった、27歳の時に帰国し、ジョージ ジェンセンで、ジュエリー、ホロウエア、フラットウエアのデザインを手がけました。
ミラノトリエンナーレ、国際デザイン大賞、Lunning賞など、多くの賞を受賞し1981に永眠。没後30年以上たった現在もコッペルにデザインされたプロダクトは新品で買えるものが多数あります。
- ナナ・ディッツェルNanna Ditzel(1923-2005)
- 20世紀を代表する家具・ジュエリーデザイナー。デンマークデザインの黄金期として知られる第二次世界大戦後に、スカンジナビアンデザインの著名人とともに、最も多くの作品を残しました。
1946年工芸美術学校卒業後、夫であるヨルゲン・ディッツェルと"Nanna&Jorgen Ditzel(ナナ&ヨルゲンディッツェル)"を設立し、数々の賞を受賞。1960年ミラノトリエンナーレでは金賞を受賞。
ジョージ ジェンセンとのコラボレーションは50年続き、今日のジョージ ジェンセン固有のデザインを代表するものとなりました。